自由意志は進化の結果?

A
「我々は現実をありのままに見ているのか?」とのことですが、脳と意識を有する経験のとは、どのような関係があるのでしょう?
B
目を開けて、1メートル先に赤いトマトがあることを認識する。結果として、それが現実だと信じるようになるにゃ。そして、目を閉じると、認識は暗闇に変わるにゃりね。それでも現実には1メートル先に赤いトマトはあるにゃろうか?
A
そりゃあ、1メートル先に赤いトマトがあるでしょう。
B
ドナルド・D・ホフマンは「人間は見たものを再構築している」と言っている。それが進化に関わっていると、彼は解説する。
B
ドナルド・D・ホフマンの研究室では数百、数千もの進化のゲーム・シミュレーションを行われたんだにゃ。たくさんの異なる世界と生物がランダムに選ばれ、生物はその世界の資源を求めて争う。現実のすべてを見る生物もいれば、その一部だけを見るものもいるにゃ。現実をまったく見ずに適応だけが可能なものもいるにゃ。どれが勝つだろう?
A
そりゃあ、現実を見る生物でしょう?
B
実は、現実を見るものが滅びたんだにゃ。現実をまったく見ず、ただ適応していくものだけが、現実を見る生物を絶滅に追いやることがわかったんだにゃ。つまり、人間の認識する意識(自由意志を含む)は進化の結果、それは「現実を見てきた結果」ではなく、「ただ適応を積み重ねた結果」かもしれないんだにゃ。
A
うーん。信じがたいですが、客観的世界がそのままイコール、全員で共有できる現実とは限らないということですね。生物種によって、異なるユーザーインターフェースを提供しているというのは、確かにそうですもんね。同じネコだって、見る現実は異なります。
B
進化とは真実を知るためではなく、子孫を残すためのものなんだにゃ。その意味からスレば、複雑に入り組んだ情報を処理すれば、カロリーを消費する。それはもっと殺して食わなければならないということにゃ。そのため、現実を客観的に見る生物は、適応という点で言えば、生きる上で「必要なものしか見えない」生物よりも劣るということにゃ。
B
これは、宇宙をひとつの物ではなく、ひとつの経験としてイメージするといいにゃ。「現実」という名前のイメージを脳に描かせているのが、人間なんだにゃ。そのお陰で、我々にとっては雑音でしかないモーツァルトの一曲を、人間の脳は味わい楽しむことができる。これはその認識されたトマトが目の前にわるわけではなく、進化の積み重ねの結果、認識されていると考えることができるんだにゃ。
A
彼の言う、コンシャス・エージェントはこの仕組みを解説するにはわかりやすい言葉ですね。
B
脳は、時間と空間の橋渡し(インターフェース)として働く「意識的主体」なんだにゃ。この主体こそが、コンシャス・エージェント。ある意味で、人間はこのエージェントという概念の中にいる囚人なんだにゃ。

我々は現実をありのままに見ているのか?

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司会者:まず、もし進化論が現実を好まないのなら、この考えにとてもがっかりしている人もいるかもしれません。つまり、我々みなの努力がある程度は損なわれてしまうということです。我々の能力によって真実を見出すことができるという、あなたの理論も含むと思うのですが?

ホフマン:これは科学の進歩を足止めするものではありません。1つの理論が誤ちだと判明したということです。知覚は現実のようで、現実は我々の知覚のようだと。これが間違っているということがわかりました。じゃあその理論を捨て去ろうということです。その他の現実そのものに関するあらゆる理論の仮定を妨げるものではありません。実際、理論の1つが否定されたことは進歩です。科学は通常通り進歩していきます。ですから、何の問題もありません。

司会者:進化によって理論的な思考力が高められていく可能性があると?

ホフマン:はい、それはとても重要なポイントです。お見せした進化のゲーム・シミュレーションは知覚に特化したもので、我々の知覚はありのままの現実を見ているのではなく、それが形成されたものだということを教えてくれますね。しかし、これが論理や数学と同じようなものだというわけではありません。
それを確かめるシミュレーションはまだしていませんが、少なくとも、真実を理解する論理や数学に対する選択圧がかかると私は考えています。私も含めて人類にとって、数学や論理は簡単ではなく十分な理解力を有していませんが、進化論的な選択は少なくとも真の数学や論理から退化する方向には向かっていません。
我々は脳の各認識能力をひとつひとつ調べ、それが進化したかどうかを見るべきでしょう。知覚に関する真実は数学や論理には当てはまりません。

司会者:あなたが提示しているのは、現代版のバークリー司教による世界の解釈のようですね。意識がものごとをつくり、その逆ではないと。

ホフマン:いいえ、バークリーとは少し違います。彼は「理神論者」でした。つまり、現実とは神であるということです。私にはバークリーの方向に行く必要はありません。バークリーとはちょっと違いますね。私が「現実認識論」と呼んでいるアプローチとは、かなり違うものになるのでしょう。
司会者:文字通り何時間もお話を伺っていたいものです。ありがとうございました。

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