アバターコース洗脳の恐怖、自己啓発セミナーと洗脳や宗教の境目

町山智浩 新興カルト・サイエントロジーの内部を暴いたドキュメンタリー「Going Clear」

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ネットで「アバター」と検索したら、あるブログ記事がトップに上がってきたんですが……ちょっと引用させていただきます。

アバターコースとは…
ハリー・パルマーという人が発見したとされる「生き方」を学び、それを実生活で活かすことによって、より良い人生が送れるようになる…というものです。アバターコースには第3部まであり、全て受講すると33,4500円かかります。アバターコースを全て終えた人は「アバターマスター」と呼ばれ、アバターを指導しても良いという資格が与えられます。今思うと「何だそりゃ…」って感じなのですが…orz
引用元: http://blog.goo.ne.jp/noriny/e/4796d32ad6c3b937cb7a34fd2bcefcab

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僕も mixiでアバターマスターをやっているという人と繋がってセミナーに誘われているところなんです。僕は「人生で出会うものは、全て意味がある」という考えを大切にしているので、どうしようかなと。気になってこのセミナーについて検索してみたところ、上の記事が出てきたので。ニャンコ先生はこの記事についてどう思いますか?
B
私は人間の信仰、それこそ阿畑とやらが提唱する人間の信念体系、をとやかく言う立場には無いにゃ。こちらのブログの著者さんは「何十万かの阿畑セミナーに誘われて、最終的に断った」それだけにゃ。何十万かの自己啓発セミナーというのは、安くもなければ、高くもない。売る方も買う方も同意しているのにゃから。結局は自分自身がどう判断するか? だけにゃのではにゃいかな。
A
さらに検索してみたら、フランスではカルト(セクト)として認められているとか、トム・クルーズも信者で有名な宗教サイエントロジーとの類似性など出てきて、ますます怪しく思ってしまって。
B
そうにゃ。「阿畑」の技術は、もともと「菜園」を元にしておるのは明白だ。彼自身「菜園」に10年ほどいたからにゃ。もちろん、裁判好きの菜園組織からはしっかり訴えられておるし、その辺りの事実関係を追いたければ、ネットでも検索すればすぐに出てくる……にゃんとも。あの時代のアメリカの現実を知る者として、少し昔話をしようかにゃ。
A
ぜひ、お願いします!
B
ここからはいち猫の戯言にゃ。60年代、ヒッピーカルチャーの全盛期、ニューエイジとも呼ばれるがの。私はその中心地のエサレン研究所にいた。まあ、そこは療養のための温泉リゾートみたいな場所だったんにゃが、マイケル・マーフィーとリチャード・プライスという2人の若者が東洋思想にずいぶんと影響を受けてにゃ、ヒンドゥー教の聖者ラマナ・マハリシの思想などを取り入れて、新しい時代のニューエイジ・コミュニティを創ろうとしていたのだにゃ。私はそこに最初に飼われていた猫だったんにゃ。
A
エサレン研究所というと、カリフォルニアにあるヒューマン・ポテンシャル・ムーヴメント(人間性回復運動)の震源地ですよね。スピリチュアル書籍に出てきたことがあります。
B
彼らは、人間の潜在的可能性の追求というものを目指しておったにゃ。あの場所は、一種のパワースポットみたいなものだったにゃ。人間性心理学で名声を得たアブラハム・マズローや、ゲシュタルト療法のフレデリック・パールズなど、時代のスターたちがシンクロニシティに導かれて集まった。その中には、ワーナー・エアハードという、トランスフォーメーションを提唱し、estという自己啓発セミナーを創始した者もいた。

彼は1970年過ぎてから自分の経験をひとつのプログラムにまとめた。その当時は、菜園技術にとても興味を持っておったにゃ。ある視点からすれば、自己啓発セミナーで使われている技術の元を辿れば、エサレン関係や菜園関係となるんだにゃ。

A
エストは、ランドマークエデュケーションなどの自己啓発セミナーブームの源流ですね。
B
あの時代、50年代から60年代のカリフォルニアでは、人間に深い意義ある様々な技術が開発、または仏教などの古来の教えから再発見された。それはとても素晴らしい発見だったが、半世紀経ってみて現代の人間が知識を正しく扱えているとはにゃんとも考えられないにゃ。でもにゃ、自分の心がピンときているにゃら、その技術を知ることは何かしらの役に立つと思うんにゃ。

大切なことは、そのテクノロジー(技術)とオーガニゼーション(組織)を分けて考えることにゃろうね。テクノロジー(技術)も、時間さえかければ無料で学ぶことが可能。それでも、ある程度の効率を考えると、有料で学んだ方がよいこともあるのだにゃ。人生の時間は限られているにゃりから。

A
場合によっては、その知識に何十万円払ってもその価値があるということでしょうか。
B
ただ、気をつけなければいけないのは、テクノロジー(技術)に惚れても、オーガニゼーション(組織)に洗脳されないことにゃ。染まることなく、釈迦のいうように、犀の角のようにただ独りで歩むことにゃ。洗脳されてしまえば、自分のために技術を知るために関わるどころか、組織のために自分を騙して関わる関係性になってしまうからにゃ。

彼らは「社会の思い込みから自由になりなさい」と言う。でも、世間の既成概念から抜け出して、また新しい集団の思い込みに縛られてしまうのも考えものにゃ。

A
こうした情報とは自分の軸をしっかり持って、注意深く関わらなくてはいけないということですね。今回はセミナーに参加しませんが、本は適正価格だと思うので買って読んでみたいと思います。

※ ニャンコは人間の持ついかなる信仰や信念も否定する立場にはありません。それがいかに不自由なものであっても。

アバターコースでの ハリー・パルマーの話から(Youtubeより引用)

プライマリーとは、ある創造を創り出そうという 十分な意図と努力を伴う創造、または意志伝達。
セカンダリーとは、人が意図している創造によって 誘発される、意図しない創造。

まるで宇宙船エンタープライズ号のデッキにいるようです。これこそがまさに私が創りたいと思っていた アバターコースの姿です。「リビング・デリバレイトリー」という本の中で、私は4つの信念体系のタイプについて その概要を短く書いています。タイプ1は主にドグマや教え込み、そして コントロールするような信念からなっています。タイプ2は常識という信念からなっています。タイプ3は科学的に実証されている信念。そしてタイプ4は意図的に創られた信念。つまり皆さんご存知のプライマリーからなっています。

今日はこれら4つの信念体系のそれぞれのタイプに含まれている意図についてお話したいと思います。最初に、信じるとはどういう意味なのでしょう? 言葉の語源をたどると、それは「~を心地よく感じる」あるいは「~に満足している」という意味です。信念体系タイプ1の人が心地よいと感じたり、満足している信念は信念体系タイプ3の人が心地よいと感じたり、満足している信念とは必ずしも一致しません。英語にもことわざがありますが「たで食う虫も好き好き」です。人が「私はあなたを信じます」と言う時、 本当は一体何を言おうとしているのでしょう? 本当は「私はあなたの言うことを心地よく感じている」とか、私はあなたが言ったことに満足している」と言っているのです。本当かどうかや、効果的かどうかが 必ずしも何かを信じる要因とは限りません。

時には真実は非常に心地が悪いものですし、信じ難い場合もあるのです。また嘘でも信じやすいものがあります。なぜなら心地良いからです。皆さんにも経験がありませんか? もし誰かが私のミスは私のせいじゃないと言ったら、私は楽に信じられます。もし私のミスの責任は私にあると言われたとしたら、それは心地悪いので信じたくありません。信じるという行為は真実よりも心地よさに関係するというのは、少し意外な発見でした。真実を発見しようとすると、自分の心地良い信念の 外に出ることになる可能性が高いのです。もし誰かが「ねぇ、駐車場に象が三匹いるよ」。という作り話をしたとしたら、私はそれにどう対処するでしょう?。私の心の一部は。「ええっ、それは普通じゃないな。駐車場に象が三匹だって!」と思います。それから心の別の部分は。「ええと、可能性はある」と言います。私たちがデイトナビーチでウィザードコースのために オーシャンセンターに入ろうとしていた時、丁度リングリング・ブラザースのサーカス団が そこから撤収するところでした。オーシャンセンターには「象の扉」と呼ばれる|大きな貨物用の搬入口があります。本当に「象の扉」というんです。その「象の扉」から象が出て行った直後に、私たちの音響設備のトラックが 「象の扉」から入ったのです。5分早ければ、象とウィザードが 鉢合わせになるところでした。そうした経験があったので、「ねぇ、駐車場に象が三匹いるよ」と言われたら、私は自分の経験と照らし合わせて、「そうだ、本当にありえる。駐車場に象が三匹いるのかも知れない」と判断します。

信念体系タイプ1では、「そうだ、本当にありえる」が根拠になります。そこで私はあなたの話を信じます。なぜなら本当にあえりえるからです。そしてさらにその情報を誰かに伝えたりもします。「ねぇマイケル、駐車場に象が40匹いるって知ってた?」私は時折マイケンをからかうことで知られています。まぁエイプリルフールのジョークとかですが。そこで彼女は駐車場に象が40匹いるという 私の話を多少の疑いをもって受けとめます。騙されるというのは心地良いものではありませんから。「あーそう、ハリー」と彼女は言います。「象が3匹なら信じる?」マイケルはそれが本当にありえるかどうか、自分の経験に照らしてチェックします。彼女がそれをチェックしている間に、 私は彼女をからかいます。「その中の一匹が君のクルマを踏んづけてたよ」信念体系タイプ1の裏にある意図は正しくあろうとすることです。

信念体系タイプ1の人は、次の信念をとても心地良く感じます「私は正しくて彼らは間違っている」。これは戦争や争いにつながる意図です。家族同士や隣人同士が反目し合うことになります。「私は正しくて彼らは間違っている」タイプ1の信じ方は、大体において 自分の記憶を点検することで発言の信憑性を判断するというものです。「それはありえることだ」と思える限り。そして情報源によって自分が正しいことになることであなたは納得します。信念体系タイプ1での納得は、 正しいか間違っているかに。つながる感情に基づいています。これがタイプ1の信じる過程です。誰かが何かを言いって、それがもっともらしく聞こえる。そして正しいと予測していたことが 実際正しかったか、間違っていると予測していたことが 実際に間違っていたことで感情の高ぶりが少し得られます。これは大きなグループの中で 選挙に選ばれるのと同じ法則です。何かをもっともらしく聞こえるように話して、正義の感情をかきたてます。政治要綱の大半は、 信念体系タイプ1からなっています。

それでは信念体系タイプ2に進んで、その中では信じるとはどういうことかを 見てみましょう。タイプ1の信じ方では、記録と照合して 妥当かどうかを判断しましたが、タイプ2の信じ方では 記憶を調べる必要はありません。なぜなら既にわかっているからです。見なくてもわかっているのです。記憶よりもわかっていることの方が 確信の度合いが強いのです。あなたはわかるようになるまでに 因果関係を何回経験する必要があるでしょう? 見なくてもその行動の結果がわかると。言えるようになるためには、何回一つの行動を繰り返して常に同じ 結果を得る必要があるでしょう? ただわかっている状態。それがタイプ2の信念です。

タイプ2の信念とは常識で、それを信じるための 努力は本当に一切含まれません。あなたはただわかっているのです。誰かが物を落としたら床に落ちたと。あなたに言ったとしら、「しっかりしろよ!当然のことだろ?」とあなたは言うでしょう。あなたはそれが妥当なことかどうか、その人があなたを正しくしているかどうかを 確認する必要はありません。なぜならあなたは物を落とせば 床に落ちると知っているからです。さて誰かがあなたに、物を落としたら。天井に当たったと言ったとしたら、自分の正当性が脅かされているとは感じないで、ただその人はどこかに頭でも ぶつけたんだなと思うでしょう。信念体系タイプ2の裏にある意図は、 順応して合理的に行動することです。そしてこの場合、合理性というのは全ての人はほとんどこれに同意している という透明な信念に基づいています。タイプ2の信念で人を説得したい時には、その人の適合を好む感覚に訴えることです。

それでは次はタイプ3の信じ方に移りましょう。信じるための複雑なプロセスを経験したければ、信念体系タイプ3を研究してください。信念体系タイプ3の背後にある意図は 証明することです。自分の理論を支持する事実を提示し、自分の理論を支持しない事実に 異論を唱えることで説得するのです。そこには少なからずタイプ1の「正しくありたい」 という衝動の影が見え隠れします。タイプ3は物理科学の領域です。また事実、仮説、定理、推測、理論、そして特に計測機器の領域です。皆さんは計測機器が。どれぐらい正確かを計るための。別の計測機器があることをご存知でしたか?。それは事実です。タイプ3の信じるプロセスの合言葉は、「それを信じるためにどんな証拠があるのですか?」です。タイプ3の信じるプロセスの大部分を占めるのは、 証拠を議論することです。タイプ3の議論を収める唯一の方法は、 計測機器を使うことです。それでさえも常に上手くいくとは限りません。

タイプ3の信じるプロセスとは、 現実の知覚に関する事実関係の調査ですが、それは透明な信念に基づいて本当だと思われます。例があります。ハーバード大学の2人の心理学者が、ネズミの檻の右側に110ボルトの電気ショックを与えると、ラットは即座に檻の左側に 移動することを発見しました。その実験から、彼らはラットがショックを避けるのに十分な知性を持っていると結論づけました実験の後で心理学者の1人が誤って電気の流れていた電極に 触れてしまいます。その悲鳴に反応したもう一人の心理学者は、 そこから離れる代わりに。思わず一人目の心理学者をつかんでしまい、2人とも激しく感電して病院に運ばれました。というわけでハーバード大の2人の心理学者は、自分たちよりもラットの方が賢いと証明してしまったのです。タイプ3の信念は科学的な証拠に基づいており、そうした証拠は事実だとみなされているものを計測する計測機器に基づいています。科学が人の経験の最前線を 拡大するようなことはあまりありません。なぜならそれは最前線から 逆の方向に拡大するからです。

ところでいろいろ短所はあるにせよ、 実は私は信念体系タイプ3のファンなんです。なぜなら最高の電気製品や重機械は ここで見つけられるからです。ロケットの時代に、意識を変えることで 宇宙旅行をする必要などあるでしょうか? そう思いませんか? タイプ3の信じるプロセスは タイプ1の信じるプロセスの円熟型で、タイプ2の信じるプロセスは この間のどこかにあります。ですからここに信じるプロセスの進化があります。子供から青年、そして大人への直線的な進化です。そしてそこまでだと思うかもしれません。迷信が科学的手法へと進化したのです。他に行き着く先も無いので。皆さんはあるプロセスが完璧に近づいた時、横道が現れて全く新たな展望が開かれることに 気づいたことはありますか? 私たちは直線的に進化するだけでなく、時には横に突然変異するのです。電気の真空管が完璧に近づいた時、横道に進化してトランジスターが登場しました。プロペラ機がほぼ完全な形まで完成した時、横道にそれてジェット推進ができました。爬虫類のうろこの厚さで得られる断熱効果がこれ以上は得られないところまで到達すると、羽毛という横道が登場しました。そして羽毛は防寒のために発達したでのすが、横道にそれて空を飛ぶ道具になったのです。

そして、アバターは 信念体系タイプ4への横道です。信念体系タイプ4の意図は、 意図的に創造することです。この横へのステップこそが、アバターが 他の手法と一線を画すものです。多くの人——ポジティブシンキングの実践者や。インスピレーションに満ちた講演者——が、単に信じることで経験を創りだせるの ではないかと考えてきました。実際、人間は本当のところ常にそうしていると 多くの人が主張しています。

信念体系タイプ4で最も重要なのは、信じるプロセスが、経験するプロセスの 前に来ることです。信念体系タイプ1・2・3では、過去の経験を見て現在信じることを決めます。今、私たちは現在信じていることが将来の経験を決定するという パラダイムについて話しているのです。これは本当に根本的な仕切り直しです。「心地よい」という理由で何かを信じるという概念が、丸ごと消えて無くなります。なぜならまだ創りだしてもいないものに 心地よくはなれないからです。信念体系タイプ4の「信じる」ということばの定義は、「心地よく存在する」ではなく 「これからのことを創造する」になります。信じるプロセスが丸ごと変わってしまったのです。アバターコースの第二部は、 「信念が経験を創りだす」ことを実証します。これはまさに画期的なことです。信じるプロセスが横道に出たことで、ただこれから経験したいことを創造することへと誘うのです。過去に既に存在していたものを 消極的に観察したり推論する代わりに、これから経験したいことを 創造することへと誘うのです。これについて単に話すだけでなく、方法をしっかりと学べば、その技術にはお金に換算できないほどの価値があります。十分な確信を持って信念を創りだすことで、実際にそれを経験するやり方を学ぶのです。凄いことですね!

ここにアバターがいてバーに入ると、「ものごとは常に上手くいく」と言います。するとタイプ3の科学者は、サンプリングや比較検討も行う 力の計測機を取り出して言います。「ものごとは常に上手くいくと信じる 証拠でもあるんですか?」アバターは言います。「いいえ。ただものごとは常に上手くいくんです」するとセカンダリーの長いリストを 持ち歩いているタイプ2の合理主義者は、「ものごとが常に上手くいくと信じる 理由でもあるのかい?」と言います。アバターは答えます。「いいえ。ただものごとは常に上手くいくんです」。そこでタイプ2とタイプ3の二人は、 とてもイライラしてきます。「それはまともじゃない!」と彼らは言います。「それは全くの妄想で、証明も無く、根拠も無く、立証も、正当性も無い。それを信じる証拠や理由も一切無い」するとアバターはこう言います。「まだね」アバターは、過去をベースにして信じることは、今来た道を振り返りながら自動車を 運転するようなものだと気づいたのです。

タイプ4の信じるプロセスとは、源の存在を目覚めさせ、とても広い範囲の中でプライマリーを作ることで自分の心を再構成し、未来の経験を創りだすことです。この概念に慣れるには多少時間がかかるかもしれません。「自分の心を再構築することのできる源の存在」です。あなたは自分の心にコントロールされていますか、あるいはあなたが心をコントロールしていますか? この概念が全く初めてな場合には、まずは次の質問に答える必要があります。「私の心とは誰のものなのだろう?」 そして、その次の質問は 「私が信じることを誰が決めるのか?」です。物理的宇宙で過去に起きたことが 私の心をコントロールしているのか、それとも自分が心をコントロールしているのか? 私の母は愛情深い人でしたが、 時折短気になることがありました。皆さんのお母さんはどうでしたか? 母は私が玄関口でグズグズしているせいで 台所に雪が吹き込んでくると、「出るか入るかどちらかにしなさい」と言うのでした。これは当然私にとっては問題でした。出るべきか、入るべきか? そして私がドアを開けたまま立ちつくし 雪が吹き込む中。

とうとう母が最後通告を出すのでした。「決断しなさい。 さもないと、代わりに決めますよ」。決断しなさい。さもないと代わりに決めますよ。これこそまさに母なる宇宙が、 私たち全員に対して言っていることです。決断しなさい。さもないと代わりに決めますよ。では誰があなたの決断をしていますか? あなたは意図的に生きて、 自分で決断していますか? 自分の心を今日再構成することによって、将来どれだけの苦しみを回避できるかわかりますか? 皆さんがここでしていることの結果を 一般の人が本当に理解したとしたら、彼らは何をおいても アバターをやりに来ることでしょう。何百万という人が心地よい信念の中に 囚われていますが、それが彼らの人生、仕事、人間関係、健康を妨害し続けています。そしてそれを自分ではどうすることもできないと。思い込んでいる出来事のせいにしているのです。これは被害者意識というものです。ですから困難の大半は、 自分が心地良く感じる信念の結果であり、それは自分で何とかできると発見するのは とても大きなステップなのです。

それを発見するには 立ち向かう努力と勇気が必要です。しかしバスケットボールの本を読むだけでは。バスケットボールの花形選手にはなれませんし、アバターの話を読むだけではアバターにはなれません。そのトレーニングが必要なのです。私は「それは本当に価値があります」と お話するつもりで来たのですが、皆さんは既に直接経験されたので、 皆さんにお伺いします。「アバターをするのは価値のあることですか?」

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